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医師転職サイトドクターズアヴェニューHOME > エッセイ > 〜守るべきものは〜
2008年04月01日
先日、夕食も終えのんびり気分の我が家にワン切りが。見ると私の実家の番号が表示されている。??と思う間もなく私の携帯が鳴った。ワン切りの主からである。
「ねぇ、ママが頼んだ半袖の洋服、探してくれてるの?」
昨年の春、入院を機に私と同じ会社の携帯を持たせた。最近各社競争のようにCMでやっている「家族間無料」とやらを耳にしたらしく、どうやら携帯同士のほうがお金がかからないと理解したようだ。そういうところは抜け目ない。
自分の服を買いに行く間もないんだよというと、残念な様子。「じゃあ明日の日曜にでも一緒に見に行こう」「了解っ!」4月1日で70歳になる母である。
恐れることはただ一つ、そうと決まれば彼女の中に時間的感覚は存在せず、目が覚めたら即行動なので、たまの日曜も何時に起こされることやらと、「ゆっくり行こうね^^」と念押しのメールを入れておいた。
そうは言ったものの、せっかく一緒に出かけるのに時間が短すぎるのもかわいそうだと思うと自然に目が覚める。ちょうど子ども達に昼食を摂らせたあと、「お昼は過ぎましたが、何時ごろお伺いしましょうか」とメールが届いた。やっぱりなと笑いながら「いつでもOK」と返事をすると、雨がくるまえに行きますと返事があった。
70歳を前にして必死でメールを覚え、指先を使い頭を使い(笑)、絵文字まで使えるようになったのだ。
乳癌を切った際のリンパ切除の後遺症で、少し無理をすると腕が足のふくらはぎほどに腫れてしまい痛々しい。湿布を貼ればもう年老いた皮膚が耐えられず、剥がす時に皮膚が付いてきそうになるので、寝室の天井から紐を吊るし、腕を高く上げてうっ血を収めるようにと主治医の先生から指示をいただいているが、そうそうおとなしくベッドの上にいる人ではない。買い物の日も、ややふくらはぎ状態でやってきた。
昔、70歳と聞けばほんとにおばあちゃんだった。おばあちゃんというか、お年寄りと言う認識だった。希望的観測が幻覚を見させているのでなければ、間違いなく母はまだ活き活きとしている。
先日来「後期高齢者医療制度」について報道がされている。75歳を越えれば扶養から独立し後期高齢者医療被保険者となり、年金から保険料が天引きされるか、もしくは低年金受給者においては別途払い込みの措置がとられるという。おおまかには、高齢化が進むにあたり老人医療費が増大する中、現役世代と高齢者世代の負担を明確化し、公平で分かりやすい制度とするためなのだそうだ。まだまだ勉強不足なので、これを統括する「後期高齢者医療広域連合」の本質が読みきれないでいる。ただテレビで聞いた印象は、「みんな年を取るのになぁ・・・」という感じだったろうか。それは、古希を迎えた両親を持つ、50を前にした私の、地味な感想だった。
先日、新聞の「声」という欄に悲しい投稿があった。78歳になるその無職の男性は、資格取得のお知らせと同時に送られた被保険者証を手にし、まるで年老いたものは後に続く人たちの生活を成り立たせるために、早々に死に支度をせよとせまられているような観を受けておられた。そんな思いをしながら最後に書かれていることは、みんな心して読んでいただきたい。
『幸か不幸か病気になったら、手厚い治療はお断りする。衰弱して、自分の口から食べられなくなったら、人生は終わりにしたいものだと思っている。』
これが例えこの方の個人的な受け止め方だったとしても、後期高齢者医療制度を発足したために当事者に与える感情だと、知って欲しい。もしもこれが自分の親の言葉だったらと、想像してみて欲しい。
守られるべきものは、平等という名の下の税金確保なのか、それともここまで日本を、私たちを育て慈しんでくださった高齢者の方々なのか。
確かに年をとればみな、子ども達に迷惑をかけたくはないと願うだろう。常から母も同じようなことを言う。けれどそれを聞くたびに、言わせているのは今の社会?私たち子ども?堂々巡りの自問自答である。
同じく朝日新聞を購読している母がこの記事を目にしたとき、心の中で同感だと思わずにいて欲しいと願うばかりである。
〜引用〜
3/23付 朝日新聞「声」・・・高齢者が「資格」なんて