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医師転職サイトドクターズアヴェニューHOME > エッセイ > 白い毛糸の帽子
2007年12月04日
通勤電車に揺られていたら、ふっと思い出した。
小さかった頃、母が作ってくれた毛糸の帽子、7つ違いの弟とお揃いの白い毛糸の帽子だった。
今はオフホワイトっておしゃれな色で表現できるけれど、あの頃はただ、白い帽子だった。
棒針編みで等間隔に小指の先ほどの小さなポッチが着いている。たぶんそこだけは鈎針で小玉を作ったのだろう。
母が作ってくれたあの帽子、いつ無くなったかな・・・
ここのところ胸が苦しくて休日は床に伏せっている私のことを、あろう事か、かかりつけの病院の院長が母に話してしまった。心配して来てくれた時の母は久しぶりの着物姿だった。麻の葉模様のその着物は、私が物心ついた頃には着ていた。している割烹着は、弟が生まれる前からあった。羽織っている上着は、もしかしたら私が幼稚園の頃、すでに身につけていたかもしれなかった。
母は確かに年を取り、多くの病魔と闘いながらやつれてはいるけれど、一瞬小さかったあの頃に戻ったような気持ちになった。懐かしかった。
昔は冬場になると毎日のように着物を着て、もちろん学校の入学式や卒業式にも和装で出席をしてくれた。22歳で私を産んだ母は、娘の私が言うのも可笑しいが、中学でも高校でも自慢の綺麗な母だった。
癌が母を襲い手の自由が利かなくなり、もう何年も自分で着物を着ることの無かった母が、昨年も一度着物姿を見せた。ちょうど今の季節だったか、私が精神的にどん底に陥り、休みの日にも外へ一歩も出なくなった頃があった。気遣った母が社寺参りに私を誘った。紅葉が見頃だから出かけようと迎えに来た。その時も母は同じ麻の葉模様の着物を着て、寝ている私の枕元に座り、泣いている私の髪の毛を優しく撫でてくれた。懐かしさと母の優しさと、しかも2児の母親である私がこの年になってもまだこの人の娘として甘えられることが嬉しくて、声を出して泣いた。
母もきっと泣きたかったに違いないが、厳しい口調で「しっかりしなさい」と言いながら、正座した膝に私の頭を両手で包んでいた。
あれから1年が経って、母はやはり病と闘っているのに、私は助けるどころかまた世話を掛けている。母自身が心臓も悪いため、あれから毎日電話が掛かってくる。院長先生のせいだ、こうなる事がわかっているから黙っていたのにな、守秘義務はどうなった!と母と笑って話した。
懐かしい姿の母を目にした事で、脳裏に微かに残っていた記憶がふっと思い起こされたのだろう。白い帽子、しろいぼうし・・・
私は子ども達にどんな思い出を残してやれるだろう。確かに幼稚園で使う用品は園指定のもの以外は全て手作りをした。小学校に上がってからも同じように体操着入れやコップ入れ、ものさしの袋まで手作りにしたが、それが果たして思い出に残るかと言えば、そんなものじゃない。
一緒に笑って一緒に泣いてきたけれど、それも違う。
今になって親のあり方を考えても遅いのだけれど、何十年か後、私が年老いて役に立たなくなったとき、何かしら息子達の中に私の思い出が残っていたらいいな、と思っているうちに電車が止まった。