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医師転職サイトドクターズアヴェニューHOME > エッセイ > ある日の午後に
2007年04月28日
ガレージのコンクリートの割れ目に、見覚えのある小さな花が咲いていた。
その小さな花びらは淡いブルーで、星の形をしている。
あ・・・確か去年の今頃、玄関脇のテラコッタに植えつけた花だ。季節が終わり枯れてしまったこの花の名前はなんと言っただろう。
その名前さえも忘れられた可憐な花は、息子達が毎日自転車を出し入れするのに邪魔にならないところに上手い具合にひっそりと咲いている。
この春から息子達はそれぞれ中学と高校の2年生に進級した。二男はともかく長男は辛い1年間を送ってきたため、新しいクラスメートとの関わりに気を揉んでいたのだった。
夏が過ぎ秋が来て、冬を送りようやく春を迎える頃、ほんのわずかな休日の間に長男はのびのびと生活しているように思えた。確かに開放感に溢れていたに違いない。そのつかの間の息子の笑顔に、私は気を緩めてしまっていたのだった。
新しい学年のクラス発表の日、彼の精神状態はどん底まで堕ちていた。そしてその日、私は知らなかった事実を息子の口から聞くことになった。
いつも誰かが自分を見てさげすみ笑っているような、そんな声がする・・・
通学途中にも、街に出て雑踏の中に居るときも・・・
そんな思いをしてまでも1年間通っていたのだと、その時初めて私は知った。
そのことに気づいてやれなかった悔しさと申し訳なさと、そして、計り知れない恐怖とが私を取り巻いた。
過去に一度だけ、死を決意している・・・と感じたことがあった。その時はそのことを「ことば」に出来た。そして、彼を留めさせることが出来た。
けれど今回は、口に出来なかった。何かが物凄い力で彼を連れ去ってしまう、彼がその力に吸い寄せられて行ってしまう・・・その様子が目に浮かんだのだ。
何があっても生きてさえいてくれればいい。学校なんか行かなくていい、彼にあった空気がある場所で、前を向いて生きていて欲しいと、そう願った。
他人から見れば過保護に聞こえるだろう。「雑草のように」というけれど、決して子どもは雑草ではない。ひと丈になるまでは、親が見守り、水を与え肥料を足し、時には要らぬ葉を落とし、支木を添え、そうして大切に慈しむべきものであると私は信じている。
背丈は遥かに私を越え、時々は一人前の口を利く。けれど昔と変わらぬ笑顔、疲れきって私の横で深い眠りに着く彼を、今私が守らなければ手放すことになる。
学校が始まるまでのほんの僅かな間に、人には理解の出来ぬこともやり、尽くす手は尽くした。
毎朝二男を送り出し、その後長男は出て行く。自転車を漕ぐ後姿を見送ることが出来る、そんな当たり前のことが、もしかしたら失われていたかも知れない。
まだ予断は許すまい、けれどこの小さな花を見つけたとき、私の中のどこかで温かなものが流れた。どんなになろうと、何処にいようと、咲き続けることが出来る。ここに咲いているだけで、十分にこの花は生きている。長い冬をも乗り越えて、小さな命を守っていた。
この強さはきっと彼に伝わっていると、なんとなく感じている。
これから訪れる夏、そして秋にも、息子達の笑顔が傍らにあって欲しい・・・
それだけを願い、今日もコンクリートの小さな花を見つめていた。