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医師転職サイトドクターズアヴェニューHOME > エッセイ > インドとわたし 4. インドでバカンス 西海岸のビーチをめぐる
2007年04月15日
期間:2005年3月2日から4月12日
滞在場所:ウドゥピ、ゴカルナ、ゴア、ムンバイ
西海岸のビーチをめぐる
ゴアで出会った彼と、日本で暮らし始めて1年。
私は大学院へ、彼は専門学校に通っていた。はじめての冬を向かえ、寒くて暗い日々に心は沈んでいった。ゴアでの、あの輝ける日々をもう一度・・・。
そんなわけで、われわれ二人はまたインドへ行くことにした。
今度は、お互いに期間が1ヶ月ほどに限られている旅なので、場所もゴアに限定した。クリスマスと年末のパーティーシーズンを狙いたかったのだが、学校の都合があったので、3月の春休みまで我慢した。
彼とは3月14日にゴアで待ち合わせをして、3月2日、わたしは一足先にカルナータカ州のウドゥピを目指した。
今回は、初めてのボンベイ入りである。相変わらずエアインディアは深夜に着くので、朝まで空港で待機しようかとも思ったものの、私はあまりに疲労していた。そこで、割高なのは承知のうえで、空港からホテルを予約し迎えのタクシーまできてもらった。われながら、大人な行動ができるようになったものだ。今回の旅のテーマは、(ある程度)お金を使って楽しむこと。バックパックは背負っているものの、これまでの貧乏旅行とは一線を画したバカンスだった。
ウドゥピ
南インド名物のドーサという食べ物をご存知だろうか?最近では日本でも「南インド料理」をうたったレストランなどを見かけるようになったが、そうした店ではドーサにお目にかかれる。ドーザは、カレー風味のジャガイモを、薄くのばした豆の皮で包んだクレープのような料理である。説明が長くなったが、ウドゥピは、このドーザ誕生の地という伝説がある。
ウドゥピはまた、クリシュナ寺院で有名だ。クリシュナ寺院では、プラサーダといって神様に供えた食事のおさがりが信者に無料で配られる。この食事がなかなかすさまじく、バケツに入った大量のご飯をバナナの葉っぱで作られたお皿にてんこ盛りにされる。その上に、汁のおかず(南インドのカレー)がかけられ、それをもくもくと食べるのだ。わたしがようやく一皿食べおえた頃に、会場に集まった人々は3皿ほどを平らげていた。
ウドゥピでもビーチへ行ったが、東海岸でみたインドの漁村のビーチと同じく、きれいな風景とはいえないものだ。人々は海岸で用を足すし、魚の臭いがたちこめている。
しかし、そうした風景は誰にとっても不快なわけではないようだ。ウドゥピのビーチは、南インドの内陸部から遊びにきた家族連れで賑わっていた。インドの家族旅行は随分大所帯なことが多く、親子に加えておじさん、おばさん、いとこや親戚一同で観光に繰り出している姿をよく目にする。ゴアやケララなど外国人観光客向けに開発されて、一般的なインド人には手が出なくなった場所とは違って、ウドゥピのビーチにはインドの海辺の和やかな風景が広がっていた。
ゴカルナ
ウドゥピからゴアを目指す途中、私はゴカルナに立ち寄った。ゴカルナは、ヒンドゥー教の聖地であり、インド各地から巡礼者が訪れる。外国人観光客には南のヴァラナシとよばれて人気のスポットだ。特に、ゴアが「商業化」されたことを嘆いたピッピーたちがゴカルナに大量に流れてきたという背景がある。
ゴカルナに到着すると、これまでカルナータカ州では見かけなかった白人の姿が目に飛び込んできた。その容貌が奇抜なのだ。男性ならば基本的に上半身裸で刺青入り。髪の毛は長く伸ばして、ドレッドヘアの人も多い。女性も色とりどりのキャミソールやタンクトップで肌を出し、へそや顔にピアスをしている人も多い。通常、観光客が寺院に入るときなどはドレスコードに気を遣うものだが、ゴカルナでは寺院の周りを上記のような人々がうろうろしているのだから、随分変わった場所だと思った。
ゴカルナは、大きく分けて寺院周辺とビーチ周辺に旅行者が滞在している。ビーチ側ではビールが売られ、人々は水着でくつろいでいる。大資本のホテルなどが建設されていない点とパーティーを除けば、ゴアのビーチを小規模にしたイメージだ。
気になったのは、ゴカルナに滞在している人々が、ゴア、ひいてはゴアにいる人々を嫌悪していることだ。人々は「ゴアは終わった」と口々にいう。ゴアとは違って、ゴカルナには文化があるというのが彼らの代表的な主張のひとつだ。私からみると、ゴカルナにおいても旅行者は随分文脈から切り離された存在である。むしろ、妙なこだわりがない分、ゴアの方がカラッと爽やかな気もする。
ゴカルナはゴアのように「商業化」されていないせいで、サービスを供給する側のインフラも整備されていない。開発されたリゾート地では、その土地で働く人々の日常が観光客の目から隠されている。しかし、ゴカルナでは、徒歩でしか行き来できない急な山道を、旅行者が飲むためのビールケースを背負って歩く地元の人々が目につく。そうした風景が目に見えるほうがいいのか、見えないほうがいいのか。ゴアからゴカルナに流れてきた長期滞在のヒッピーたちは、どのように割り切っているのだろうか?
3月のゴカルナはシヴァ神の祭りで賑わっていた。祭りのクライマックス、山車が出る日に私はゴアへ向かった。
ゴア(シーズンオフ編)
ゴカルナを出た日の晩、私は1年ぶりにゴアを再来した。
一足遅れて、数日後に彼もゴアにやってきた。
椰子の木と海。見慣れたポストカードの風景が広がり、その薄っぺらな感じに安堵する。ここなら安心してビールが飲める。この感覚は何なのだろう?元ヒッピー達は嘆いているのだろうけど、私は今のゴアの魅力はリゾートならではのお気楽さだと思う。
ゴカルナからゴアにきて、また人々の服装ががらっと変わった。パーティーシーズンが終わった3月のゴアからは、ヒッピー風やレイバー風の人々が姿を消して、代わりにヨーロッパからバカンスにきた家族連れや老夫婦がくつろいでいた。野球帽を被ってTシャツ短パンを着こんだ太鼓腹のおじさまが海岸でビールを飲んでいる姿をみていると、「ゴアは終わった」というゴカルナの人々の意見にも一理あると思える。
シーズン中には毎晩パーティーが開かれて旅行者で賑わうアンジュナビーチでも、3月半ばになるとレストランやゲストハウスがすでに店じまいを始めていた。そこで、われわれは1年前と同様に、ゴア最北のアランボールビーチへ向かった。
アランボールは、シーズンに関係なく繁盛していた。ここにいる人々は、アンジュナに比べて年齢層が若い。ゴアのビーチは、南にいくほど大型ホテルが立ち並び、ヨーロッパからツアーで訪れる人々が多いため年齢層も高めである。一方、北にいくほど観光開発の度合いが低くなり、若者が多くなる。アランボールはバックパッカー達のチルアウトスポットとして、またアンジュナより小規模なパーティースポットとして、変わらぬ姿を保っていた。しかし、北部のいつくかのビーチでは、この一年の間に飲食施設や宿泊施設が増えていた。特に、ボンベイなどのインドの大都市から遊びに来るインド人のための施設が増えていたことが印象的だった。
60年代のヒッピー達は、また90年代初頭のレイバー達は、どんなゴアを見ていたのだろうか? 不安定な観光産業が経済の中心であるゴアは、今後どう変化していくのだろうか? 時代が変わり、訪れる人が変わっても、ゴアには現代人を惹きつける特別な魅力があると思う。矛盾をはらみつつも、ゴアは永遠のパラダイスであってほしいと願う。
ボンベイ
わたしたち2人は、ボンベイでセレブの集まるカフェやレストランへ遊びに行き、インド随一のメトロポリスの活気を感じて帰路についた。ボンベイは不思議な街だ。日本やヨーロッパを含めて、私が知っているどの都市よりもメトロポリスという言葉が似合う。1995年、イギリス植民地政府によって名づけられたボンベイという都市の名前は、ヒンドゥー至上主義政府によって州言語であるマラーティー語のムンバイに変更された。しかし、イギリス植民地時代の重々しい建築や2階建ての赤いバスがよく似合い、中東やインド各地から集まった多様な人々で形成されているコスモポリタンなこの街は、ボンベイと呼ばれるのが自然だろう。実際、名前が変わってから10年たった今も、人々はこの町をボンベイと呼んでいる。きらびやか過ぎる消費者文化と、巨大なスラムに流入する人々。大都市はやはり魅力的で興味深い。インドの気になる場所がまた増えてしまった。
おわりに
さて、これが私の経験したインドである。実際の旅行からは1年から5年ほど経過してからの記述なので、経験というよりは記憶のなかのインドといえるかもしれない。
職場で突然エッセイを書く機会を与えられ、インドをテーマに選んでから、約1年間を通して自分のインド旅行を振り返った。引き受けた際には、自分なりのインド体験を独自の視点で書けるかな、と淡い期待を胸に抱いていたものの、書けば書くほどどこかで読んだような記述になった。おもしろくもない文章しか書けないことに苦痛を感じることもあった。時には開き直って、月並みなインド旅行記が商業出版されているくらいなのだから、私がつまらない文章を書いたって問題ないと思うこともあった。しかし反面、思い出を掘り起こして再構築するのは楽しい作業でもあった。
何はともあれ、一介の学生に文章を書く特別な機会を与えてくれたドクターズアヴェニューに感謝したい。
最後に、姿の見えない読者のみなさまにお礼を述べておきたい。全て読んでくださった殊勝な方がいらっしゃったとしたらとてもうれしいし、どれかひとつでも目を通して「ふーん」と思ってくださった方がいたとしたら、それもうれしい。ありがとうございました。