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2007年02月16日
お酒を飲みにお店に入って、思いのほか料理の本気度が高いと、とてもしあわせになる。思えば、おいしい料理を口にするとおいしいお酒も口にしたくなるので、おいしいお酒にこだわるお店がおいしい料理にこだわるのは正当な、鏡餅の上に橙がのっているほど正しいことなのだ。平生、鏡餅にたわしを乗っけてるようなお店ばかり覗いているから、正しいことにいたく感動する。お皿に料金を課す人は、決して電子レンジでチンするだけの料理を供してはいけないと思う。
不器用に思われるが、確かに不器用なのだが、実は細かな作業が好きだ。料理についても私が口を開く前から「できないでしょう」と言われるが、実のところうまい下手はともかく出汁もひけるし煮炊きもできる。むしろ、何か食べるものを手で作るときの無心は瞑想に似ていて、瞑想より温かく、とても好きだ。料理はその人を映す、と母がよく言う。そういえば自信のないとき、私の場合は思い切って塩を振れず、芯のない味になる。挑戦的なとき、つまり普段は脈略なく機知が働きサンバルやニョクマムを使って予想を上回る成功をしたり、大抵は失敗する。敬意なく料理をすると、例外なくしっぺ返しがあるようだ。
台所に立つのはいつも週末だけれど、近頃没頭している台所仕事は、静かに出汁をひく品だ。長ネギをざくざくと切って、昆布と一緒に水を張った鍋に入れ、一煮立ちさせたら差し水をして昆布を取り出し、鰹節をふんわり載せる。鰹節が水に沈む時、いつもミレーの絵を思う。オフィーリアのドレスが沼で泳ぐように鰹節が揺らいだら一度すべて引き揚げて布で濾し、ネギを戻してお醤油とお酒をほんの少し落とし、おぼろ豆腐を静かに入れる。仕上げに上等な塩をまぶし、好みで七味をかけ、豆腐を木さじで崩しながらお粥のように戴く。熱燗を合わせてもいいし、冷たい白ワインでもおいしい。
週に1〜2度の料理でも、食材に頭の下がる思いがつのるのだから、これが料理人ならどこか信仰に似た思いかもしれない。会社の近くには料理に思いの深い飲み屋があり、そこの店主は自分もふらふらに酔いながら店を開け、深夜前には酔いつぶれて閉店するけれど魚をさばくとき、だし巻きを返すとき、緊迫した面持ちは何となく修行者のようだ。
年の初め、会社でフグヒレをもらった。丁寧に伸ばされた尾は、天日に干されて礼儀正しく直立し、海の日向のにおいがする。学生の頃、アルバイトで冬場は毎日ヒレ酒を作っていたのが幸いし、自宅でもさっそく作ることにする。金網で丁寧に炙って、隣の火で熱燗をつけ温めたぐい飲みに注ぎ、お餅のように膨らんだヒレを浮かべて、蓋がないのでアルミホイルでぴったり封じ、さらに新聞紙をかぶせて母と肴を拵える間、10分近くそのままにしておいた。お酒ではなく、スープでもなく、豊かな味にお酒の苦手な母すら驚いた。丁寧に仕立てられたヒレとの、静かな応酬だった。