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親の見ぬ間に

2008年06月03日

日曜日、ぐだぐだ寝ていたいのに奥歯が痛くて目が覚めた。奥歯というより
は口の奥、奥歯の更に奥がずきんずきん脈打っている。手鏡をつかんで窓辺
で大口を開けると、口の奥でわずかに覗く白いエナメル質が、また少し広が
った気がする。三十歳を過ぎて、親知らずだけは時々思い出したように成長
を続ける。

この歯が初めて顔を出したのは10年と少し前、高校生だった。「親知ら
ず」というが、物珍しいのでいちいち成長過程を親に知らせた。母は興味が
あるような、どうでもいいような、心なしか戸惑っている風で私の話を聞い
ていたが、思い返すとあの顔は戸惑っている。自分の知らぬ間に、自分の手
で確認できない物体が、娘の口腔内に現れたことに驚いているような、がっ
かりしているような顔をしている。子供のころの私の乳歯は、自然に抜け落
ちた一本以外は全部母が手で抜いた(というか剥がした)。その乳歯を、今度
は父が桐の箱に入れて保管する。上等そうな木箱に、子供の小さい歯がころ
ころ入っているのを見つけた親戚は、その親バカ具合を笑ったが、自分の親
の不思議な敬虔さは、私から見ても可笑しい。

高校の古文で、親が子を慈しんで育てる意味の「かしづく」と、「愛」を表
す「かなし」を習ったとき、自分の親になぞらえて覚えたものの、行ってき
ますと家を出たその足でレコード屋へ向かって友達と会い、京都御所で猫と
遊び、鴨川で一日駄弁って家に帰った。冷たい風に当たらないよう、かしづ
くように育てられても、私自身のよろこびを追ううちに、傷も付いて妬みも
嫉みも親しい感情になってしまった。

親知らずは初登場から10年たって、ひどく痛み始めた。本当の奥歯まで痛
むので、虫でも食ってるのかと歯医者へ行ってみてみると、上を向くべき歯
が横を向いている。隣の歯は、きちんと居るべき場所に居ながら肩身の狭い
思いで押されている。歯として用を足しているわけでなし、抜くことにし
た。
親知らず抜くよ、と母に言うと、抜いた歯貰えるの?と聞き返された。


 

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